外遊帳 2015 春

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6月21日(日) 新しい靴を履いて、ナキウサギの山へ

土曜日は午前中に犬の予防接種に行った。待ち時間が1時間もあるというので、近くの河原で遊ばせたら、川に飛び込んでしまったので、動物病院に戻った時には腹やら足がびしょぬれ。獣医さんたちは呆れて笑っていた。

午後は、下の娘をスイミングに連れて行き、帰りにスポーツゼビオに寄った。
昨年秋に、15年はいた登山靴がだめになったので、新しいのを買いにいったのだ。
スポーツ用品店で、店員の言うままに初めに履いた奴が、なんだか足に合っている感じがしたので、他を履くこともなく即決した。

キャラバンの登山靴1万5000円ぐらい。私には十分だと思う。

夕方には梅干を漬けた。
いつも、どのくらいの量をどのくらいの手順でやっているか忘れて、毎年、あれやこれや調べて漬けるので、今回はここにメモしておこう。

生協で紀州梅を買った。4.5kg。
塩800g
樽、プラの15号

水曜日に届いて、新聞紙を広げた上に置いて追熟させる。この時点では少し色づいているぐらい。
土曜日夕方の作業となったが、ちょっと間をあけ過ぎた感じがする。しかし、作業の時間がとれなかったのでしょうがない。
竹串でヘタを下の娘と取って、その後洗ってタオルで余分な水分をとった。
35度のホワイトリカーをボールに入れて、梅をくぐらせ、塩をまぶして樽に並べる。
で、2.5kgと1.5kgの重石をのせてふたをして、梅酢があがるのを待つ。
梅酢は次の日にはあがった。あとは、シソを投入して、夏の晴れた日に干せば完成だ。

さて、土曜日はしっかりと家のことを片づけたし、新しい登山靴を買ったというわけで、日曜日は山へ向かった。ゆっくりと出て、途中で用足しなどもしたので、ふもとに着いたのは昼を過ぎていたが、この山へ登る時はこのくらいの時刻が多い。朝早くから登っている登山者が下りてくるので、かえって静かな山を楽しむことができるのだ。


登山口にはハクサンチドリが咲いていた。


林道には、ゴゼンタチバナがたくさん。


岩場には、ミヤマオダマキ。白も赤もあった。


ヒメシャクナゲ

案の定、山は殆どの時間、私の貸し切りだった。
昔働いていた町で知り合った男性と偶然出会ったのに驚いた。また、今私が住んでいるのと同じ町から来たと言う女性とは、しばらく岩場で話をした。彼女は花に詳しかったので、いくつかの花の名前を教えてもらった。私はお礼に、彼女にナキウサギ語についてレクチャーした。


後ろにオダマキが写っている。


餌を食べたり、鳴き合ったり。ちょろちょろとしていました。

ナキウサギは機嫌良くあちらこちらから顔を出してくれた。
今年生まれた子どもたちも結構たくさん出てくれたし、ミヤマオダマキなどの花も見ごろだった。

岩の上にクロテンらしき糞があちこちにあるので、現れるかもしれないなあと思っていたら、本当に現れた。いつか、雪の中でも一度会ったことがあるが、その時も、糞があったのだ。

クロテンが出た後は、もうナキウサギは警戒して出て来ないかもしれないなあと思っていたのに、予想に反してその後も結構出てくれた。


草陰に隠れていたクロテンが、私の姿を確認しようとして伸びあがったところ。



ナキウサギのガレ場をウロウロとしていた。

2度、足元からナキウサギが現れた。どちらも子どものナキウサギで可愛かった。長いレンズをつけたカメラでは撮れないので、2回とも携帯をそーっと構えて動画で撮影しようとしたが、もう少しと言うところで私に気付いて穴に逃げ込んでしまった。(と、思って帰って携帯を確認したら、一瞬写っていて嬉しかった。)

帰り道、随分下ったところで、足元にナキウサギの子どもが出てきた。灰色がかった体毛の小さな個体だった。あまりにも近いので携帯で撮ろうと思ったが、やっぱり画面に入れる前に隠れてしまった。

諦めきれず、その場で10分ほど待つと、穴から顔を出してくれた。
ガレ場でなく、途中の林道ではいつも声を聞くし、姿も2度くらいは見かけたことがあるが、写真に撮れたのは初だ。




穴から顔を出し、鼻をひくひくさせてこちらをうかがっていた。

家に帰ると、父の日だということで、ごちそうが待っていた。
娘二人は、二人とも靴下をくれた。
彼女たちは何も言わないが、きっと普段よっぽど私の足が臭いのだろう。

幸せな1日であった。




6月8日(日)、9日(月) 茶鱒、虹鱒

久しぶりのHP更新となった。
その間、上の娘の体育祭があったり、鳥見にちょこっと行ったり、家庭菜園をあれこれしたりをしていたが、特段HPに書くほどのことではないなあなどと思っていたら、1か月以上もたってしまったわけだ。
で、今回久しぶりにしっかりと遊ぶことができたし、釣果もそれなりだったので更新意欲につながった。

9日の月曜日に、Nさんとニジマスを釣りに行くことになった。
昨年の10月に、Nさんにフライを借りてちょっとの間振らしてもらったら、簡単に40cmオーバーが釣れたので、俺の持っている道具にあと何を買い足したら、湖でフライができるか聞いたら、なんとかっていうラインとそれをおさめるラージアーバのリールだとかいうので、4月にナチュラムで格安のリールを買っていたのだ。

土曜日、昼前に家を出て、Nさんの家に寄る。
そのラージアーバだかいうリールになんちゃらというラインを巻くのがどうやるのかわからないと言ったら、親切なNさんが「俺がやっちゃる」っていうので寄らしてもらったのだ。

リールにラインを巻いたり、リーダーやら、ティペットやらというのを繋げたりしつつ、フライの色々なことを偉そうに講釈たれるのを我慢して聞いた教えてくれるのを有難く聞いた。

まあきち 「この蛍光の緑色の部分のラインが浮くってことですか?」
Nさん   「いや、グリーンのところが、フローティングラインってことなんだ。」
まあきち 「・・・」

Nさん   「ここは、エイトノットで・・・」
まあきち 「8の字結びですね。」
Nさん   「いや、エイトノット
まあきち 「・・・」


そういえば、Nさん、以前インジケーターつけたルースにングだかって釣りを、浮き釣りって言った時も、いちいち訂正していたなあ。

しゃくだから、その後は「ライン先にループを作って・・・」なんていうたびに、「それは、ちちわってことですね」って、日本語訳してみた。

でも、そのNさん、ぼくのために、この日夜遅くまで湖用のフライを巻いてくれたんだって。

さて、8日(日曜日)Nさんのうちを出て、ちょっと用事をすませて、お目当ての湖に着いたのは14:30だった。この日はNさんと行ったのではなく、私だけの単独釣行。使うのはいつものルアー。

最初は殆ど釣れなかったけれど、後からだんだん魚が出始めて、終盤、なんとか45cmほどの良い型のブラウンを釣ることができた。
珍しく、ボートの人が何組が湖上にいたけれど、みんな苦戦していたようだ。






さて、本命の次の日9日(月)、ゆっくりめに家を出て、Nさんの家に行き、そこからNさんの車で湖を目指す。釣り場には我々以外だれもいなかった。平日だしね。
フローターを下して湖で釣りを始めたのは、11時ごろだった。
Nさんとは、あまり早朝から釣りをしない。


湖フライデビュー。シンキングラインデビュー。

期待したほど連発したわけではないが、10匹ぐらい(覚えていないので、確かではない)のニジマスに出会えた。
40cmを少し超えるサイズが数本釣れて、中には派手にジャンプをしたり、フローターを引っ張ったりする強い魚もいた。

周りの森はまだ新緑の雰囲気がのこり、ウグイスやツツドリ、オオルリ、エゾムシクイなどの声が終始聞こえるし、湖面をヤマセミが飛んだりもした。

夕方の連発もなく釣りは終了してしまったけれど、ウイスキーを飲みつつ浮かび、この湖の綺麗で筋肉質なニジマスを何匹か釣ることができて楽しかった。

土曜日に新調した、ラバーのネットは径が50cmあるので、結構な大物でも楽に入りそうだ。水に浮くので簡易生簀のようになるのも良い。なにより、ネット部分に針が絡まないのがとてもよかった。値段も安かったしね。


30cmぐらいの魚も何匹か釣れた。


背中が緑色に光る個体もいた。


赤が濃い個体


下の数字はインチ表示。16インチはおよそ40cm。


全体に太い魚が多かった。


コンディション抜群で、とても美味そう。

夜中までスペシャルなフライを巻いてくれたNさん。
いちいち日本語を英語に直すのも許してあげます。
あ、ニジマスのこともレインボーだとか言ってましたよね。
まあ、私も、ブラウンはブラウンだけど。

ウグイはなんていうんだろ。

5月3日(日) 自転車置き場 花見 鳥見

中学生の娘に自転車を買ってやり、物置に自転車を3台入れたら、ごちゃごちゃと満杯になってしまったので、自転車置き場を外に設置することにした。
デッドスペースになっている物置と家との間に置きたかったが、丁度よいサイズの自転車置き場を探すことができなかった。アルミフレームとカバーのサイクルハウスというものが2万ぐらいと安価で、隙間に入りそうなサイズだったので買おうと思ったが、調べてみると2〜3年しかもたないというのでやめにした。それじゃあということで、いっそのこと自分で作るのはどうかと思い立ち、にわかDIYをやってみた。

どんな素材がいいか、色々と調べた結果、イレクターパイプで骨組みを作り、ポリカの波板で屋根を作ることにした。パイプもジョイントも、どこのホームセンターにも売っている。簡単に切ることができるし、イレクターパイプの販売会社自体のHPに加工や設計の仕方が丁寧に載っているのも親切だった。
ただ、ポリカ波板の値段が、ホーマックとジョイフルとコメリで全然違った。ホーマックだと、1カット100円で加工してくれるので面倒がなくて良い気がしたが、8尺のポリカで400円も高かったので、コメリで買って、波板挟みを買って自分で切った。まあ、波板ばさみというものをこれから先使うことがあるのかわからないことを考えると、ホーマックでも良かったのかもしれないが。

少しずつ暇を見つけて、パイプを切ったり、材料を買ってきたり、ジョイントをボンドで止めたりしながら、2、3日で自転車置き場が完成した。設計などになれていて、道具もそろっていれば、半日もかからず完成できるだろう。
積雪や、風にどのくらい耐えられるかという心配はあるが、とりあえず手間も金もそれほどかけずに、自転車置き場が完成した。




さて、話は変わって、5連休のGW2日目。
1日中鳥見をした。前日に、アトリやキレンジャク・ヒレンジャクに会った。冬鳥と夏鳥が入れ替わる時期なので、おもしろい鳥見ができると思って出かけたというわけだ。



いつもよりも1週間ほど早くサクラが満開になっていた。こんなサクラをバックにオオルリでも止まればなあと思っていたら、オオルリの声が聞こえて喜んだが、かろうじて撮った写真は思いっきり枝かぶりだった。
この日は、それなりに鳥はいたが、満足の行く写真は撮れなかった。



イカルやオオルリに会えた。キビタキはいなかった。


満開の桜をバックにキバシリ。


場所を変えて、山の奥に入った。



山の渓にルリビタキがいたが、青くなかった。若オスか。



アカハラ。羽の横に白い模様があるけど、こんな模様あったかなあ。

この日出会った鳥

アオジ、アカハラ、アカゲラ、アトリ、イカル、イワツバメ、ウグイス、エゾムシクイ、オオアカゲラ、オオルリ、カケス、カワガラス、カワラヒワ、キジバト、キセキレイ、キバシリ、キレンジャク、コアカゲラ、コゲラ、ゴジュウカラ、シジュウカラ、シメ、スズメ、センダイムシクイ、トビ、ノビタキ、ハシブトガラ、ハシブトガラス、ハシボソガラス、ヒガラ、ヒバリ、ヒヨドリ、ヒレンジャク、ベニマシコ、マガモ、メジロ、ヤブサメ、ルリビタキ(全38種)

4月29日(水) 娘とJRの旅

今日は、下の娘とJRの旅。
行先は釧路。目的は勝手丼。

上の娘が1年生か2年生の時、釧路にやっぱり連れて行った。
下の娘にも同じことをしてやらないと不平等だと思い、連れて行く約束を以前からしていたのだ。
本音を言えば、貴重な休みを観光客目当ての和商市場などでついやすなんていうのは勘弁して欲しいイベントなのだが、仕方がない。

「駅弁を買おうね。そして、トランプでもしながら釧路まで行こう。釧路に行ったらプラネタリウムも見られるよ。それから、勝手丼って言って、好きなお刺身をご飯に乗っけて自分で丼を作れるお店もあるんだよ。」
こんな話をいつかの晩御飯の時に娘にし、彼女は楽しみで楽しみで、その後何度も「29日になったら、釧路に行けるね。」と嬉しそうに話していた。



帯広駅からJRに乗るのは、娘は初体験だった。

実際には、帯広駅には駅弁らしい駅弁はなく、かろうじてぶた八の豚丼弁当と、豚丼おにぎりがあるだけだった。下りは車内販売もないということだったので、豚丼おにぎりとビールを駅で買ってJRに乗り込んだ。
私自身、列車の旅が好きで、学生のころは青春18きっぷという各駅停車のみで使える乗り放題切符で、全国を旅した。この日も、車窓からの景色を眺めつつ、豚丼おにぎりをつまみにビールをのんだ。自由席はガラガラだったので、シートを一つ反対向きに回して座った。娘と私で向かい合わせにゆったりと座り、花札をしたり、あやとりをしたりしつつ、釧路までの列車の旅を楽しんだ。


豚丼おにぎりは、はっきり言って美味くない。海苔の質も肉の質も悪い。ちょっとまけてくれたけど。

釧路遊学館という子どものための科学施設では、プラネタリウムを見た。名探偵コナンのプラネタリウムというイベントに期待をしたが、プラネタリウム自体の楽しさも損なわれていたし、コナンのストーリーも無理に星の話に寄せていてイマイチで、どっちつかずのつまらない内容でがっかりだった。

昼飯の勝手丼は、観光客ぐらいしか食べないもので、割高感もあるのだが、期待していなかった分、悪くなかった。

刺身が好きで、あまりに好きすぎて将来の夢が「漁師」だという娘は、刺身選びも慎重だった。
店の人は、高いものを買わせようだとか、子どもだからこういうのが好きだろうだとか、商売根性丸出しで、カニやらエビやらを勧めるのだが、娘はそういうのを一切無視した。「私が食べたいものを選んでいるんだから、余計な口出しをしないで」という雰囲気に、店の人もたじろぐほどであった。
全部頼んだ後に、「玉子もつけてあげるよ」と言われ、お金をとられると思って「いらない」と答えた娘だったが、「玉子嫌いなの?サービスでだよ。」「え、お金いらないの。だったらいる」と答えた娘が、私には誇らしい。

値段的にも、それほど高くつかなかったし、いまいちだと思っていた刺身も、美味しかった。
「まぐろのつの」という部位が値段の割には美味しかった。何より娘が興奮して超嬉しそうだったのがなによりだ。上の娘や、妻を連れてもう一度来ても良いなあと思った。


娘の丼は赤っぽくて、私の丼は白っぽい。年齢による好みの差だね。


4月26日(日) ソフトボール部に入部

上の娘が中学生になった。
そして、ソフトボール部に入った。
野球になど全く興味のなかった娘なので、どうしてソフトボール部に入ったのかは謎だ。
他に入るところがなかったから。
とは、娘の言葉。

ポジションを知っているかと聞いたら、
知っているよ。サードでしょ。それにセカンド。それから・・・「フォワード」

そんな娘のために、グローブやら練習着やら、あれやこれや買わねばならないということで、大量に金が飛んでいった。

まあ、あまり小学校の時には親に負担をかけなかった子なので、中学の部活ぐらいは協力してやるか、と、この時点では思っていた。私は球技が好きなので、一緒にキャッチボールでもしよう。たまには、ノックもしてやろうなどと、なんて甘い考えを持って、バットやら、自分のグラブやらまで買った。


黒が長女、青が次女、茶が私のグラブ。下の娘にも便乗された。

でもね。

この土日ともに、朝6:30に学校集合で、学校へも試合会場へも親が送り迎えするってのは知らなかった。中学校の部活って、バスとか公共交通機関で行くと思ってた・・・。妻が金曜日に出席した総会によると、公式の試合以外にも、土日には、たーくさん試合が入り、それも親の送迎なんだって。

俺が中学の頃の部活って、親が送り迎えは一度もなかったよ。親が試合を見に来たのも1度もない。
まあ、補欠だから試合には出なかったけれども。

なんか、親の協力なくてはなりたたない部活って、不思議。ボクの感覚ではありえなーい。
中学生にもなって、まだ親が関わるの〜。

でも、周りに聞くと
「そんなものだよ。あたりまえ。」
って言われるし。

娘よ。

いますぐやめなさい。

なんてことは、思っていても言えないし。

最悪だ〜。最悪だ〜。って言ってたら、娘も気を使ってかわいそうだから、

妻に、

「娘の中学校のソフトボール部のサポーターになるべ。」

と、話をした。うん。大人だ、ボク。

でね。その妻は、この土日、札幌にコンサートを見に行っているの。

だからね。二日とも、ボクが送り迎えをするのよ。
1年生だから、試合にも出ないのにね。
今日は、早朝に起きて、お弁当を作ったよ。
学校集合が6:30だから、5時に起きて作ったよ。
休みの日に釣り以外で早起きするとは思わなかった。

実は、私、人のお弁当を作るのは生まれて初めてだ。
色々な理由があって、お弁当は作ってはならないという誓いがあったのだけど、仕方なく作った。
練習帰りに車の中で、、「すごく美味しかった。毎回あんなお弁当だったらいいのに。」と、言われて、まんざらでもなかったな。まあ、お世辞だろうがね。うん、長女は昔からそうやって人の心をコントロールしようとするところがあるからな。


唐揚げと豚肉の海苔チーズ巻き、ご飯は鯵の干物とゴマたくさんを混ぜたもの。

何試合も中学生のソフトボールを見ているのもあきるなあと思っていたら、会場の近くには、私が良く行く鳥見のポイントがあったので、修理から戻ったばかりの双眼鏡で鳥を見ていた。
接眼レンズについている部品を数年前になくしてずーとそのままにしていた、ニコンのモナークだけれど、この間やっと修理に出して、それが数日前に戻ってきていたのだった。
色々直してくれて送料込で3500円は、高いか安いか。
いらんとこも直してくれてたけど。


レンズも綺麗にしてもらって、リフレッシュしたモナーク。


製品番号シールとか、ニコン銘板とか、別に直していらないんだけどね。

さてさて、まあきち家。娘のサポーターになりきれるかなー。

4月5日(日) 訃報

前日4日の昼にキンゾーさんがウチに寄ってくれた。
前に来た時は上の娘がまだ1年生か2年生の頃だったような気がする。
娘たちは覚えてないって言っていた。
妻は、キンゾーさん、かわらないね。って言っていた。
昼飯のオーダーは『肉野菜炒め』

鶏ハツとほうれん草の炒めもの、鶏とニンニクの芽の炒めもの、豚キムチの3品をお出しした。
鶏ハツの炒めものが好きなのだが、水っぽくなってしまい、味がボケて美味しくなかったのが残念。
炒めものって、実は結構、奥が深くて難しい。






・・・。さて、題名のことについてだ。
日曜日、いつものように万年さんのページを開いたら、掲示板に、「万年坊主@帯広は2015年3月30日午後6時37分永眠いたしました。」ということが奥さんの書き込みで知らされていた。

一瞬体が硬直した。
しばらく更新がなく、それが病気が原因だと言うことは聞いていたし、何年にもわたって欠かさず毎日更新していた万年さんのHPが最近ほとんど更新されなくなっていたということがあったので、不吉な予感が頭をよぎることがなかったわけじゃない。
しかし、復帰を信じ、掲示板に新しい画像が貼られることを楽しみにちょくちょくHPを見にいっていたのだが・・・。

万年さんが「十勝の自然とFly Fishing」を立ち上げたのは1998年のことで、同じ年にキンゾーさんが「キンゾー通信」を立ち上げ、その2年後に私がこのHPを始めた。
当時は個人でHPを作るのが広がり始めた頃で、たくさんの釣りサイトや自然サイトが生まれたが、数年たつとどのサイトも閉鎖された。
残った、万年さんのところとキンゾーさんのところ、それからやっぱりその頃からあるHiroshiさんの所という、ずっと続けているサイトの管理人さんたちとは何故か今でもインターネット以外でも付き合いが続いていて、既に古くからの友人のような気持ちで私は付き合いをさせてもらっている。
私のパソコンのインターネットエクスプローラーのお気に入りの一番上にはその3つのサイトがあり、私の毎日の巡回コースになっていて、毎回の更新を楽しみにしていた。

万年さんは、フライフィッシングで、私はルアーだったせいか、結局一緒に釣りをするということはなかったが、何度か一緒に鳥を見に行ったり、モモンガを見に行ったりした。釣りもその他の自然の中で遊ぶこともトータル的に楽しむというスタンスや、二人とも道外出身だったということなど、いくつかの共通点があったせいか、ずっと親しく付き合いを続けさせていただいていた。

ワカサギがたくさん釣れたからと、ウチにおすそ分けをしてくれたこともあったし、娘が小学校に上がる頃だったか、色鉛筆のセットを持ってきてくれたこともあった。フィールドスコープを買う時や、三脚が壊れた時にアドバイスをいただいた。本州から知り合いが来た時に、オショロコマの釣れるポイントを教えてもらったこともあった。

これまでに貰ったメールは40通以上もあった。
2001年に十勝川のタンチョウについてのメールが今のパソコンに残る一番古いメールだが、口調がすでに何度か交流している感じがするので、きっとその前にも何度かのやりとりはあったのだろう。2001年に新しいパソコンに買い替えた時に、古いメールを移し替えなかったのだ。

メールのやり取りでは機材や画像処理のアドバイスを貰うことが多かったが、ネットエチケットについてやらやダム反対署名についてなんていうものあった。
2004年にHPを閉じようかと思っていた時には、「閉じたらダメ!」という題名の励ましのメールをいただいた。「サイトを公開するメリットが見いだせない」という私のメールに対し、「それを判断するのは、あなたじゃなくて、来る人だよ。反応がなくても見ている人って結構いるものだと思ってがんばりましょう」と書いてくれた。

たまに釣れたいい魚や、鮮明に撮れた野鳥や野生動物を万年さんの掲示板に貼りつけ、「いいなー」とか「すごいなー」って言われるのが楽しみだった。

ああ、本当に悔しい。
もっと、一緒に遊びたかったなあ。
話がしたかったなあ。

やっぱり釣りにも、一緒に行きたかった。
2003年に、「いつか釣りか鳥見に行きましょう。」ってメールで誘ったのが最初のようだ。
『約束せずに「明日ヒマですか」ってテキトーにメールしてタイミングが合えば行きましょう』といういい加減な約束に、「そういういい加減が大好きです」って返信が来た。


鳥見は叶ったけど、釣りは叶わなかった。
いや鳥見だって、何度でも行きたかった。

悔しいし、悲しいし
ご冥福をお祈りしますって。そういう気持ちは難しいです。

でも、万年さん、色々どうもありがとう。
楽しかったよ。メールのやり取りも、鳥見も、モモンガも。

ありがとう。

これしか言えないよ。




2008年 5月 万年さんと鳥見に行って撮ったキビタキ。万年さん、キビタキに会えて喜んでいた。